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<特集> 長崎に息づく生き物たち |
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季刊「樂」 15号 好評発売中!
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東日本大震災の犠牲となられた多くの方々のご冥福をお祈りするとともに、甚大な被害に見舞われ、1年を過ぎてなお不自由な生活をお送りの皆様に心よりお見舞い申し上げます。
癒しをあなたに。15号発売開始!
私が幼少期を過ごした熊本郊外の家の庭には、一面に芝生が敷いてありました。新芽の香り、しっとり湿った夏草の感触、しだいに茶色に色づき秋の気配を感じると「そろそろ落葉を集めて焼芋しよう!」と父へ提案。そして、すっかり枯れて堅くなった葉先を窓越しに眺めた冬……庭を彩る芝生の四季を踏みしめ育った私は、今もどこかに芝生への憧れがあるような気がしています。そして、冬が過ぎ、春めいてくると隣のユミちゃんちの庭の片隅にそびえる椿の木に登り、競争するように真っ赤な花を摘んでは、花の蜜を吸って地面へ落とす……。今思えば、私って随分お転婆な子どもだったようです。母から教わった「草花遊び」も忘れられない思い出のひとつです。道すがら、母がササッと小さな葉がたくさん付いたニセアカシアの葉を拝借。自分の葉っぱを選び半分ちぎって印をつけ、右下の葉から上へ「月、火、水、木、金、土、日」と、ぐるりとひとつずつ数え、日曜日の葉を取っていくのを繰り返す遊びです。印をつけた葉が日曜日に当たれば負けで、最後に自分の葉が残った人の勝ち! 単純でオモシロくて「またしたい!」とせがむと、「あんまりしたら葉っぱがなくなるからダメッ!」と怒られましたっけ……。夏になると、母の実家の国見町に連泊。早朝、叔父に連れられて、よくカブトムシ取りに出掛けました。子どもの頃、私にとって祖母の家はまるで動物園。昔の田舎家の多くがそうであったように、小規模ながら養鶏をしていて、朝から卵を取りに行くのが何よりの楽しみでした。また、隣家には豚小屋があり、何とも言えない臭いがするのですが、その臭いを我慢してでも、親豚に寄り添うたくさんの子豚を覗き見するのが大好きでした。これを言うと国見の友人にはいつも怒られるのですが、今も島原半島へ車で訪れると、この辺りかな?というところから窓を全開するのが私の鉄則。その心は、牛や豚の臭いがノスタルジーを誘うからーー。初夏、川端に舞う蛍、秋、祖母宅の玄関口に飼われた鈴虫の鳴き声……私の大切な思い出の宝箱の中には、そんな生き物たちの息づかいがあります。そのせいか、今も緑あふれる自然の中に身を置き、野花や鳥の声に包まれる時がいちばん心安らぐ瞬間。よく、年をとるにつれて花→鳥→風→月の順にそれぞれの美しさを噛みしめるようになると言いますが、日本古来の考えでいえば「初老」を過ぎた私にとって、それが子ども時代の思い出と結びつくと、断然豊かなものになるような気がしています。さて、好評発売中の樂(らく)15号の特集は「長崎に息づく生き物たち」と題し、長崎の雄大な大自然や人々の力によって崇高な輝きを放っている「生命の美」に迫っています。どうぞ、お手に取りゆっくりご一読ください。
小川寿子